蝸牛合格

人間を失格し、自らの生涯を閉じた私にも希望の光が注がれることになるとは。

私はいつのまにか巻貝に成っていた。

厭世をこじらせて私は貝になりたい、と願う前に、私は貝そのものに成り変わった。
なんという僥倖。願う前に叶う夢がこの世に存在していたとは。

巻貝とは言うが、私の活動領域は海の中ではない。草木生い茂る陸の上である。
目の前の葉先にしたたる水滴を姿見として活用し、ここに我が姿を記す。

背には黄金螺旋の意匠が施された清潔な殻、動力源の粘液によってぬめる胴体は一筆書きのようにシンプルな造形を成し、その先端にある敏感な割に飛び出しがちな両目が印象的だ。足の代わりに腹を波のように動かしてのろのろと地面を這う。
これ以上に普遍的で独創的かつチャーミングなデザインはあるだろうか。

そう、いわゆるカタツムリである。
雨模様の風物詩として名を馳せる陸の巻貝として、私は第二の生を受けたのだ。

なぜカタツムリとして選ばれたのかは神のみぞ知る、といったところだが、
いまのところ蝸牛生もなかなか悪くない。

時節は梅雨、今はどこかも知らない花園の一角を棲み家としている。
移動能力が極度に低い我々にとって、この花園が生まれ故郷であり、墓場である。

外の世界を目指す可能性は最初から存在しない。
ぬめりを帯びた足枷は行動の選択肢を減らし、脳のリソースを解放する。
今の私に脳みそが存在するのかどうかは別としてだ。

しけった落ち葉を貪りながら、このじめじめとした世界を堪能する。
人間のころの私も、日陰が好きだった。

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